ホームへ

「キャロルに関する雑学帳」へ戻る

「鉄道株で脅してやれ」


'"You may seek it with thimbles ―― and seek it with care;
 You may seek it with forks and hope;
You may threaten its life with a railway-share;
 You may charm it with smile and soap ―― "'

『スナーク狩り』でベイカーの叔父がスナークについて語った部分である。スナークの命を脅すのに、なぜ鉄道株なのか、と疑問に思う人も多いであろう。この部分、単純に"care"と韻を踏ませただけとも考えられる。実際マーチン・ガードナーのThe Annotatrd Snarkでは全く註がつけられていない。同書巻末のF.C.S.シラーによるコメンタリーではこれについて触れられているが、そこでは鉄道株を近代文明の発達の寓意ととらえている。確かにキャロルは一種の文明批判的な寓意を作品に込めることがあると言われることも多い(『鏡の国のアリス』で赤の女王が開陳する、一つところに留まるために全力で走らなくてはいけないという論などがその代表)。しかし、同時代のイギリス人(大人)がこの「鉄道株」という言葉を読んだ時、おそらく自分たちのよく知っている事件を思い出して笑ったであろう。キャロルとしては寓意的な意味合いというより、時事的なギャグとしてこの「鉄道株」という言葉を書いたのではないだろうか。

イギリスで、世界最初の本格的な公共鉄道がマンチェスター=リヴァプール間に引かれたのは1830年のことである。その後20年ほどの間にイギリスでは鉄道会社が乱立し、1842年には総線路延長1,875マイル、1848年には5,127マイルにもなっている。当時の鉄道は現在のイギリスとは違って国有鉄道ではなく、鉄道会社が事業として鉄道を敷設していたのだが、鉄道は有望な事業として株の投資熱が高まってきた。1840年代には「鉄道マニア」と呼ばれる、大規模で熱狂的な投資ブームが起こった。そうした鉄道建設ブーム、投資ブームの中でのし上がってきたジョージ・ハドソン(1800-1871)という男がいる。
ハドソンはヨーク・アンド・ノースミッドランド鉄道の取締役会長を皮切りに、他社の株の買収・併合を経て1844年、ミッドランド鉄道という大会社へとまとめ上げた。この頃彼の参加の鉄道の路線距離は全イギリスのほぼ半分までを占めていた。ハドソンは自社の鉄道株の配当金をどんどん吊り上げた。一株につき1840年には21シリングの配当だったものが、1843年になると50シリングにまで上がっている。こうして投資を煽った結果、鉄道株はバブル状態となる。
1980年代の日本のバブル景気の際、猫も杓子も株を買いあさったことは記憶に新しい。1840年代のイギリスでもそれと同様のことが起こり、誰もが鉄道株を有望・安心な投資先として買いあさったのである。そして、バブル状態になると相場師・投機家も出てくる。1845年から数年間、こういった鉄道相場師のことを指す「スタッグ」という言葉が流行した。こういったバブルを煽っていたハドソンはというと、1845年に保守党議員として議会に進出している。

こうして「鉄道王」とまで呼ばれたハドソンであるが、1849年、さまざまな不正が明らかとなり、没落してしまった。その不正の中には、帳簿のごまかし以外にも、会社の財政状態からは妥当と思えない額まで配当金を吊り上げていたというものもあった。そして、その不正が明るみに出たことで、鉄道株の配当も一気に下がり、株券は紙くず同然となってしまった。バブルは弾け、多くの零細「株主」は大損をしたのだ。鉄道株は、バブルに乗って株を買った多くの人にとって、まさに「命取り」ともなったのである。

『スナーク狩り』出版年は、この「鉄道マニア」騒動から27年後のことである。決して「記憶に新しい」とはいえないものの、まだまだバブル崩壊の記憶は消えていない時期だ。ベイカーの叔父の"You may threaten its life with a railway-share;"の言葉を、キャロルはこの騒動のことを思い浮かべながら書いたと思われる。

参考文献
小池滋『英国鉄道物語』(1979,晶文社)
松村昌家編『「パンチ」素描集――19世紀のロンドン――』(1994,岩波文庫)
※1840年代の鉄道の発達や「鉄道マニア」については、上記2著に全面的に依拠しました。


「キャロルに関する雑学帳」へ戻る