Alice's Adventures in Wonderlandの訳題がいつから『不思議の国のアリス』となったかについて、訳書・註釈書の題としての初出が昭和5年の長沢才助訳・註による『不思議の國のアリス』であることは、既に門馬義幸氏の論考で明らかにされている(注1)。訳書の題としては、この点はもう疑問の余地がないことであろう。しかし、『不思議の国のアリス』という訳語自体はそれ以前にも使われていた例があったので報告する。
1928年4月3日にサザビーのオークションでAlice's Adventures under Groundの手稿本がローゼンバックによって落札されたことはよく知られているであろう。この出来事が4月5日の日本の読売新聞で紹介されているのだ。
十五萬円で売れた原稿
「不思議の国のアリス」
【ロンドン三日発連合】英国の家庭に殆ど例外なきまでに備へられ又日本でも翻訳を通じて少年少女諸君におなじみの「不思議の国のアリス」の原稿が本日当地の有名なる書店サザビーで一万五千四百ポンド(約十五万四千円)といふ驚くべき高値で米国人の手に渡つたが(中略) 右「不思議の国のアリス」はチヤールズ。ドヂスン(原文ママ)が一八六五年ルイズ。キヤロル(原文ママ)なるペンネームを以て出版したもので(中略)尚買手たる米国人はフイラデルフイヤのローゼンバツハ博士(原文ママ)といふ著述家である。(昭和3年4月5日朝刊第4面。原文の正字体は新字体に直した。以下同様)
読売新聞は7月にローゼンバック帰国のニュースも掲載している。
珍籍蒐集に五千萬円を投ず
【ロンドン発連合通信】先日英国で「不思議の国のアリス」の原稿を大枚十五万円で買取つたローゼンバツハ博士(原文ママ)は五月下旬マヂエスチツク号で米国に帰つたが(中略)同博士は米国に帰つてからアリスの原稿を初め種々の得難き珍エヂシヨンを公開すると(昭和3年7月5日朝刊第4面)
この手稿本はその後ビクターの創設者ジョンソンの手に渡るのだが、読売新聞はこれについても記事にしている。
「アリス」の原稿卅五萬円で売れる
【ニユーヨーク十五日発連合】米国ヴイクター蓄音機会社の創立者にして前社長エルドレツド・ジヨンソン氏は今回チヤールズ。ドヂスン(原文ママ)が一八六五年ルイズ。キヤロル(原文ママ)といふペンネームをもつて出版した「不思議の国のアリス」原(一字欠)並びに初版本二冊を十五万ドル(約卅五万円)で買ひ取つた(後略)(昭和3年10月17日朝刊第7面)
Alice's Adventures under Ground手稿本に関するニュースでは、現在使われている『不思議の国のアリス』の訳題がそのまま使われているわけだ。これは、外電をそのまま翻訳したことがその理由ではないかと思われる。外電では書名にAlice's Adventures in Wonderlandではなく、一般に使われるAlice in Wonderlandを用いており、それをそのまま訳すことで『不思議の国のアリス』となったのではないかと考えられる。ちょうど昭和9年にパラマウント映画Alice in Wonderlandを日本公開するに当たって、当初『お伽の国のアリス』で予告され、その後『不思議の国のアリス』に落ち着いた(注2)のと同じで、adventuresという単語がないことによる直訳がそのまま採用されたのであろう。
実際、それを裏付けるであろう記事が同時期の東京朝日新聞にある。ジョンソンによる手稿本買い取りについては東京朝日新聞も全く同じ記事を同じ日に「海外茶話 最近の珍ニユース」という欄で紹介しているのだ。
三十五萬円の原稿
米国ヴイクター蓄音機会社の創立者にして前社長エルドレツド・ジヨンソン氏は今回チヤールズ。ドヂスン(原文ママ)が一八六五年ルイズ。キヤロル(原文ママ)といふペンネームをもつて出版した「アリス。イン。フエアリーランド」(不思議の国のアリス)原稿並に初版本二冊を十五萬ドル(約卅五萬円)で買ひ取つた(後略)(昭和3年10月17日朝刊第2面)
後略部分も含め、文字使いや僅かな差異を除けば全くの同一文である。ここで、なぜかwonderlandがフェアリーランドとなっているが、これが通信社による原文の間違いであるのか、配信された訳語から勝手に東京朝日新聞で英語を作ってしまったのかは不明である。英米人がこの書名を間違うことは考えにくいということと、読売新聞と東京朝日新聞で訳語が殆ど同じということから通信社が日本語で配信し、東京朝日新聞が英語の題名を作った可能性が高いと思われる。
海外における通信社が、Alice in Wonderlandという、この本の略称を直訳したことで、手稿本関連の記事を日本の新聞が扱った際に『不思議の国のアリス』という訳語が使用されたと考えて良いであろう。事実、同じ新聞であっても、Alice's Adventures in Wonderlandという原題を頭に書かれた記事には、こういうものがあるのだ。
アフリカ大陸の秘密を探る
本社特派員の猟奇行
第一信来る
アテネ河畔から二月十四日 三好武二
二十世紀に置き忘れられたパンドラの手箱、アフリカの大陸の秘密を探るべく本社はさきに社員三好武二氏を派し、ベルギー政府主催のアフリカ探検隊に随伴せしめ断然一九三一年度猟奇のトツプを切つたが、奇樹珍草のはびこり、怪獣稀鳥のばつこするに委した暗黒の秘密境への第一関門を勇敢に突破した同氏から今、その第一信が到着した。猟奇的興味百パーセント、まさに「不可思議国のアリス物語」のモダーン・エヂシヨンたるの観がある。先づ三好氏をして暗黒世界の秘密、不可思議の数々を語らしめよ。(後略)(大阪毎日新聞 昭和6年4月16日)
最後にパラマウント映画『不思議の国のアリス』日本公開から八ヶ月後の、やはり外電発の記事を紹介してこの稿を閉じたい。昭和9年11月17日、読売新聞と東京朝日新聞でほぼ同文の記事が掲載されている。ここでは読売新聞の記事を紹介する。
「不思議の国のアリス」のモデル逝く
【ウエスタラム(イギリスケント州)十六日発電通】童話中の傑作として世界の童心を動かし映画化までされたルイス・キヤロル氏の名作「不思議の国のアリス」物語の女主人公アリス嬢のモデル アリス・ハーグ・ビーヴスさん(原文ママ)は一ヶ月間臥床の後十五日夜逝去した享年八十二(昭和9年11月17日朝刊第7面)
注1:門馬義幸「『不思議の国のアリス』書名再考」『MISCHMASCH』(6) 5-10, 2003
注2:木下信一「昭和9年のパラマウント映画『不思議の國のアリス』」『MISCHMASCH』(8)13-29, 2006
本稿は、日本ルイス・キャロル協会ニューズレターThe Looking-glass Letter第96号(2007年)に掲載したものです。