ホームへ

「キャロルに関する雑学帳」へ戻る

シャーロック・ホームズとルイス・キャロル


 「シンクロニシティ」という言葉があるが、シャーロック・ホームズとルイス・キャロルについて書こうと思っていた矢先に『名探偵ドジソン氏 マーベリー嬢失踪事件』(扶桑社ミステリー)なる本が出た。晩年のドジスンと若き医師アーサー・コナン・ドイルが協力して少女の誘拐事件を捜査するという作品だ。この本の巻末にドイルとキャロルの共通点について簡単に記されている。そういう意味では今更とも思えるのだが……。上記の本に書かれていない部分でも、話題がないではないので紹介する。

 文学や歴史の本を読んでいると、「へえ、この人とこの人が」というような、妙なところで共通点のある場合があって驚かされることがある。ヴィクトリア朝を代表する二人の奇人にして有名人シャーロック・ホームズとルイス・キャロルがもし出会っていたら、という期待をする人は少なくないと思われる。『詳注シャーロック・ホームズ全集』を編集したベアリング=グールドは、ホームズの伝記(『シャーロック・ホームズ ガス灯に浮かぶ生涯』)中で、オクスフォード在学中のホームズが数学講師ドジスンと親交を深めていたと書いている。また、日本では瀬山士郎『数学者シャーロック・ホームズ』で学生時代のホームズがドジスンと親交があったと書いている。マーチン・ガードナーに至っては『スナーク狩り』に附した注釈で、ホームズものの短編「ギリシャ語通訳」の始めの部分、ディオゲネス・クラブの窓からホームズとマイクロフトが目撃したブーツとビリヤード・マーカーこそが、スナーク狩りの生き残りではないかと記している。名探偵の代名詞ともいうべき空想上の人物シャーロック・ホームズとオクスフォードの数学講師チャールズ・ラトウィッジ・ドジスンの人生となれば、普通関係などある筈がないと思われる。しかし、実際にはこの両者の人生は、いろいろなところで交錯しているのだ。ホームズというより作者ドイルとキャロルの共通点が結構あるといった方が正確ではあるが……。
 さて、両者に共通する点として最初に挙げるとすればその文学的な面。両者ともにポオの影響の下に書いた作品がある。ドイルは、云わずとしれたシャーロック・ホームズのシリーズ。これがオーギュスト・デュパンものを始めとするポオの推理小説の影響を受けたことを否定するものはいまい(第一作『緋色の習作』ではホームズがデュパンをこき下ろすシーンがあるし、「踊る人形」の解読法は、ポオの「黄金虫」の方法論を借りている)。対してキャロルにはNovelty and Romancementという一種のパロディ物語がある。この最後の言葉が"nevermore"、すなわちポオの「大鴉」で何度も繰り返され、詩の一番最後を締めくくる、あの単語になっている。ここでキャロルは「大鴉」の影響のもとに物語を書いている。
 次に、これは有名な話でご記憶の方も多いだろうと思うが、両者とも晩年は心霊主義に傾倒している。もっとも、マーチン・ガードナーによればドジスンの心霊主義はドイルと違い、霊との交信が可能とは思っていなかったようだ。それに、手品で子供を楽しませ、写真を趣味としていたドジスンのこと、後年のドイルのようにサイキックのトリックに騙されたり、妖精写真のトリックに引っかかったりはしなかったろう註)
 また、ドジスンの交友関係の中にラファエル前派の芸術家たちがいる。その中のジョン・ラスキンの秘書にチャールズ・オーガスタス・ハウエルなる男がいた。彼にはもう一つの顔があった。すなわち恐喝者としての顔が。ラファエル前派の芸術家たちの中には、彼に恐喝されていた例もある。そのチャールズ・オーガスタス・ハウエルをモデルに、後にドイルが書いた短編が「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン」(The Adventure of Charles Augustus Milverton。「犯人は二人」「恐喝王ミルヴァートン」)であった。このハウエルが、もしドジスンの少女写真(ヌード)をネタに恐喝していたらという仮定の下に書かれた推理小説もある(Belladonna by Donald Thomas)。
 そして、ある意味で「ニアミス」と云ってもいいかもしれないのだが、この二人は、ある一人の人物を媒介にして繋がっている。その人物とはディッキー・ドイルことリチャード・ドイルである。
 リチャード・ドイルは雑誌『パンチ』の挿し絵画家で、あの有名な、表紙の「パンチ」氏のイラストは彼の手になるものだ。キャロルは『鏡の国のアリス』を執筆した際、イラストをテニエルに依頼したが、一旦は断られ、リチャード・ドイルを紹介された。それでドイルに頼んだところが受けてもらえず。他にも何人かの画家に当たってみたのだが、はかばかしい結果を得ることが出来ず、結局はテニエルに泣きついて、今我々が見ることのできる、あの『鏡の国のアリス』が出来上がった。
 さて、そのドイルだが、名前を見ても判るように、アーサー・コナン・ドイルとは血縁関係にある。リチャード・ドイルはコナン・ドイルの伯父なのだ。コナン・ドイルの父には兄が三人おり、みな画家になっている。また、父チャールズ・ドイル自身も、プロの画家でこそなかったが絵を描いていた。実際、ホームズものの第一作『緋色の習作』(A Study in Scarlet『緋色の研究』)の単行本には、チャールズ・ドイルがイラストを着けているものもある。シドニー・パジェットの有名なイラストは、「ボヘミアの醜聞」(A Scandal in Bohemia「ボヘミア王家の醜聞」)以降、ホームズものの短編が『ストランド・マガジン』に連載されるようになってからのこと。では、ここでなぜ画家としして父より有名なリチャード・ドイルが挿し絵を描かなかったか。理由は簡単で、リチャード・ドイルは1883年に亡くなっている(『緋色の習作』発表年は1887年)。もし『鏡の国のアリス』の挿し絵をリチャード・ドイルが受けていて、『緋色の習作』発表まで彼が生きていたら、と想像すると、両者のファンにとって非常に残念なニアミスであったといえよう。


実際、キャロルは合成写真の技術を使って「心霊写真」を撮影している。(2000.11.14追記)

*付記
キャロルのNovelty and Romancementを「パロディ詩」としていましたが、これは「パロディ物語」の誤りでした。訂正します。(1999.10.9)

「キャロルに関する雑学帳」へ戻る