ホームへ

「キャロルに関する雑学帳」へ戻る

嵐山光三郎・誤訳「蛇姫様参り」


 1976年夏に季刊誌『月下の一群』が創刊された。編集は唐十郎で、澁澤龍彦、種村季弘、赤瀬川原平、日影丈吉、巌谷國士等、多士済々な執筆陣を擁し、唐の戯曲がまるごと一篇収載されているという雑誌だ。残念ながらこの『月下の一群』は、創刊二号で廃刊となり、いわば幻の雑誌となっている。
 この雑誌の創刊号に、嵐山光三郎が自ら「誤訳」と称して長編詩の翻訳を掲載している。題名は「蛇姫様参り」、ルイス・キャロルの『スナーク狩り』の翻訳だ。挿画を南伸宏(後の南伸坊)が手がけている。

 嵐山がこの翻訳を「誤訳」と称したのは、英語の「音」にこだわるキャロルに対し、徹底的に日本語の語呂合わせにこだわって日本語化したからのようだ。第二章と第五章の一部を省略しているが、ほぼ全訳といえる。この訳でのSnarkは「蛇姫様」、Boojumは「屁の河童」となっている。隊長たるBellmanは「鈴之助」、Brokerは「商左衛門」、Billiard-Markerが「赤丹銀二」、そしてBakerは「板前」となっている。ここで、冒頭の四連の訳を紹介しよう(原文総ルビ)。

可愛そうだよ蛇姫(スナーク)様は、ここの小島にかくれんぼ。鈴之助(ベルマン)、声を張上げて、呼べど叫べど山彦の、谺に響く音ばかり。はかりきれぬは高波の、波のつるべの命狩り、ガリット小指でさしつかみ、髪をつかんで引き上げる。

可愛そうだよ蛇姫(スナーク)様は、ここの小島にかくれんぼ。鈴之助(ベルマン)、二度目に二度言い、三度目には三度言い、三度笠だよ船乗り人生。仁政ならば清水の次郎長、ジロッと睨んで見まわせば、組員一味の気がひきしまる。

しまる引き戸に片手をつけて、ガラリと開けた大広間、乗組員を見わたせば、たして二で割る島磯千鳥、靴の職人沓掛宿の時次郎(ブーツ)、けんかの仲裁、調停屋(バリスター)。網の職人網太郎(ボンネット)、算盤片手の商左衛門(ブローカー)。

さてその次に控えしは、賭博稼業の赤丹銀二(ビリヤード・マーカー)、目出度い盆が目当のいかさま野郎だ。銀行代わりは銭貫(バンカー)で、組の資金ちらちらと、散らして温める置炬燵

 全篇、こういった日本語の語呂合わせで進んで行く。最後は(ここのみ正真の誤訳といえるかもしれないが)、板前(ベイカー)だけではなく、狩りの一行全員が消えてしまう。解説は嵐山本人が「キャロルの屁の河童」という題で書いている。ここで嵐山は『スナーク狩り』でキャロルが使った押韻について詳細に解説している。
 なお、この嵐山『蛇姫様参り』が発表された翌年、唐十郎は状況劇場で『蛇姫様――我が心の奈蛇』を発表しているが、嵐山の翻訳がこの劇の外題に影響を与えたのかどうかは判らない。

 現在では(そして当時でも)、おそらくは認められにくい翻訳ではあるが、ここまで言葉の「音」にこだわった『スナーク狩り』の翻訳があったことは、もっと知られていても良いことではある。創刊二号で廃刊という、短命に終わった雑誌に掲載されたが故に、多くの人の目に止まることなく、忘れられていたのだろう。

本稿は、日本ルイス・キャロル協会ニューズレターThe Looking-glass Letter第84号(2005年)に掲載したものです。


「キャロルに関する雑学帳」へ戻る