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リーダーズ・ダイジェスト「『不思議の国のアリス』の作者」


 戦前期において、キャロルの伝記的紹介は『アリス』本の訳者や注解者による解説を除けば、ほとんど知られていない。数少ない例外といえば、昭和9年にパラマウント映画『不思議の國のアリス』が日本公開された時に物語の紹介とともに原作者も紹介されたことがあるが、これも映画雑誌に映画の紹介をするという文脈から書かれたものであり、『アリス』の作者ルイス・キャロルを単独で取り上げたものではない。  ところが、昭和28年にルイス・キャロルだけを取り上げた記事が登場する。題は「『不思議の国のアリス』の作者」、著者はランスロット・ドブソンである。コーエンのキャロル伝にも引用されているこの文章は、Readers’ Digest 1953年2月号に掲載され、翌月『リーダーズ・ダイジェスト』日本語版、昭和28年3月号にその翻訳が掲載されている。日本語版の本文はpp.55-61の7ページであり、大きく分けて

の二つに分けられる。後半は、当時出されていた伝記等からエピソードを抜き出したものであり、さして特記するべきものはない。ここでは、本人の見たキャロルとそのエピソードについて書かれている部分を紹介する。

1) キャロルの外見について

 ランスロット・ドブソンは、自分をキャロルの親友の息子と紹介している。ドブソンの父もキャロルと同じく牧師で数学者であった、とのことである。そのドブソンの見たキャロルの外見とは

ドッジソンは背の高い、細長い体つきの人で、頬は青白くて黒い波うつ髪をしていて、獨特の高調子の声で話をした。濃青の目は、子供を見るとやさしい輝きをおびた。どんなにさむい日でも、黒い僧服の上に外套を着ようとしなかった――ただいつも必ず、黒いシルクハットをかぶっていた。そして、冬でも夏でも黒の編んだ毛糸の手袋をはめていた。

といったものだった。ドブソンたちはキャロルのことを「不思議の国のアリスさん」と呼んでいたそうだ。

2) キャロルに関するエピソード

 ドブソンは、自分たちとキャロルとの間でのエピソードとして、キャロルが見せてくれた数学マジックについて書いている。コーエンにも引用されているが、キャロルが子供たちに、学校で足し算を習っているかときいて、子供たちが「習っている」と答えると、キャロルは

「あんた方の行っている学校はとても低級な学校らしいな。わたしは決して加え算なんかしないよ。いつも答えを先に出して、それからあとで問題の方をくっ付けるんだよ」

と言い、紙切れに数字を書き、ドブソンの継母に渡す。それからもう一つの紙に1066と書いて、女の子を選び

何でも自分の好きな四桁の数字を書きなさいと言って書かせた。それから彼は、またその下に自分で四桁の数字を書き、今度は男の子にもう一つ四桁の数字を書かせた。五番目の段は、またキャロルが付け加えたので、数字の式は次のようになった。
  一〇六六 ルイス・キャロル
  三四七八 女の子
  六五二一 ルイス・キャロル
  七一五〇 男の子
  二八四九 ルイス・キャロル

 一人の少年に計算させて、和が21,064と答えを出させた後に継母に渡した紙の数字を読んで貰うと、そこには21,064と書かれている。ドブソンは、ちゃんと種も明かしてくれている。

子供がどんな数字を書こうとも、キャロルはその下へ二つの段の和が九九九九になるような数字を書き加えていったのである。

と。続いてもう一つの数学マジック。

彼は一人の男の子に一二三四五六七九という数字を書かせた……(中略)……「あんたは数字をはっきり書けないようだね? この数字の中で一番まずく書いたのは自分でどれだと思うかい?」と言った。

 そして、その子が「5」と答えると、キャロルは先の数字に45を掛けるように言う。

その子供が一所懸命に計算していったところ、驚いたことに、結果は五五五五五五五五五五と出た。「もしぼくが四と言ったら、どうするの?」少年は問いただした。「その時には、答の数字が全部四になるようにするよ」とキャロルは答えた。元の数字に、やはり四の九倍の三六を掛けさせる、ということだった。だが彼は、「九の倍数の秘密」は私たちに説明してくれなかった。

 いかにもキャロルらしいエピソードである。この回想で注目するべきなのは、著者が男性である、ということだろう。キャロルに関する回想ではビアトリス・ハッチやイザ・ボウマンなど女性が多く、彼女たちの文にもキャロルは「男の子が嫌いだった」という記述が時として見られる。しかし、必ずしもそうではなかったということをこの回想ははっきりと示している。多くの日本人が読んでいたと思われる『リーダーズ・ダイジェスト』ではあるが、単発の記事、それも7ページだけの記事であったからであろうか、そのままこの回想は忘れられ、1972年のアリス・ブームの時に、この記事が顧みられることはなかったように見える。

本稿は、日本ルイス・キャロル協会ニューズレターThe Looking-glass Letter第84号(2005年)に掲載したものです。


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