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ルイス・キャロルの死因は?


 キャロル関連の年表や記述で、よく見かけるものに、キャロルの死亡時の状況がある。よく書かれている内容は、風邪が悪化し、気管支炎となって死去、というものだ。深く考えずに読めばそのまま問題ないようにも思える記述であるが、少し考えると妙なことに気づく。死因としては気管支炎は軽くはないか?
 もちろん、老人の場合、慢性気管支炎が風邪のために急性に悪化し、そのため重篤な転帰をとる、ということはあり、必ずしも「気管支炎で死ぬはずがない」とはいえない。それに、キャロルの生きていた時代の医学水準も考慮に入れなければならない。さくまゆみこ『イギリス 7つのファンタジーをめぐる旅』では、この疑問について、こう書いている。

……そのうちにキャロルは気管支炎にかかる。今なら薬ですぐに治る病気だが、当時はこれが命取りになった。享年六五歳であった。

 しかし、それらを考えた上でも、「直接の死因が気管支炎だったのか?」という疑問はある。
 現在公開されているキャロルの死亡証明書の、キャロルの死因の項を確認すると、

 と書かれている。キャロルの死因は肺炎だったのだ。では、なぜ風邪から気管支炎が悪化した、という記述が日本でなされているのか。

 風邪については、話は簡単であろう。風邪の一種として、インフルエンザがあるからだ。風邪とは、上気道(鼻や喉)の炎症を指し、鼻水や鼻づまり、頭痛・発熱などの症状を持つ症候群である(かぜ症候群)。その中で、インフルエンザウイルスによる感染症をインフルエンザと呼ぶ。ただ、インフルエンザは他のかぜ症候群に比べ急激に発症すること、症状が重篤であることから、普通の風邪とは区別されることも多い。キャロルが罹ったのは、このインフルエンザであったのだ。

 次に、死因にも関わる肺炎であるが、なぜ肺炎が気管支炎ということになってしまったのか。これについては、甥のコリングウッドによる伝記が原因といえそうだ。コリングウッドは、キャロルの死の前後について、次のように記述している。

……At first his illness seemed a trifle, but before a week had passed bronchial symptoms had developed, and Dr. Gabb, the family physician, ordered him to keep his bed. His breathing rapidly became hard and laborious, and he had to be propped up with pillows. A few days before his death he asked one of his sisters to read him that well-known hymn, every verse of which ends with 'Thy Will be done.' ……

 この文を素直に読めば、病気(インフルエンザ)が、最初は軽かったものが、気管支の症状が悪化した、となる。その後キャロルの死の様子が語られるので、これを読んだだけなら、気管支の症状が悪化して、それにより亡くなった、と解釈されても仕方ない。気管支の症状というところから気管支炎という言葉まではほんの一歩の距離だ。事実、Carrollとbronchitisで検索すると、「Carroll died of bronchitis」という記述が多く見られる。
 ここで再びインフルエンザについて述べると、インフルエンザでは、重篤な呼吸症状が発現し、二次的に急性気管支炎や肺炎を併発することが多い。キャロルも、インフルエンザから二次的に急性気管支炎と肺炎を併発したと考えて良いだろう。ウィルス性の気管支炎のなかでもインフルエンザウィルスによるものは、劇的に悪化し、呼吸困難などに陥る可能性が高い。インフルエンザにより気管支炎、さらに奥の細気管支炎に至った場合、気管支が狭窄、閉塞することがあり、状況によっては急速に、喘鳴、呼吸困難、チアノーゼなども呈することがある。コリングウッドの記述の中に

His breathing rapidly became hard and laborious, and he had to be propped up with pillows.

 とあり、こういった症状があったとも考えられる。キャロルはもともと呼吸器が弱かったことは知られている(小児期よりより百日咳に罹ったり気管支炎になったりと気管支の病気には悩まされていた)。そういったキャロルであるから、慢性疾患としての気管支炎があるとした上で、インフルエンザに罹ったことにより急性にそれが悪化したということで、死因の一つに入れられている可能性はある。
 しかし、通常考えて、一般的な風邪をこじらせて気管支炎だけで亡くなったということは考えにくい。また、そのことは死亡証明書の死因「肺炎」という記述からもはっきりしている。

 実際には、キャロルの場合、呼吸器の症状が悪化し、コリングウッドの記述にもあるように、気管支症状も悪化した。この時点で気管支炎を併発したが、気管支のレベルで治ることがなく、さらに次のレベルとして、肺炎が起こったのではないか。現代においても、肺炎は死に至ることが少なくない。ましてキャロルの生きていた時代には抗生物質すら発見されていなかった(フレミングによるペニシリンの発見は1920年)。肺炎が併発した場合、特効薬のない当時、患者が死に至ったとして不思議ではない。

 通常伝記に見られる、キャロルが風邪から気管支炎を悪化させ死亡した、という記述は、インフルエンザを「風邪」としたこと、そしてコリングウッドの書いた「気管支症状が悪化した」という記述から「気管支炎」という言葉を導き出したことによると思われる。

参考文献
『今日の治療指針2005』医学書院
『内科学』1 朝倉書店
Internal Medicine 医学評論社

※本稿を書くに当たり、竹田洋子さん(医師)のご校閲・大幅な加筆を頂きました。また、単に間違いを指摘して下さっただけでなく、参考文献をご紹介下さり、疾患について様々な視点をご教示下さいました。ありがとうございます。
この文章を書いた私は、医学については素人であり、校閲頂いた後ではあっても、私の誤解から医学的な過りのある可能性があります。その場合、文責はすべて私にあります。


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