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第一話

 夜明けまでにはまだ二時間はあろうという頃 1 、男爵はタペストリーの掛かった小部屋の中でゆっくり歩き回っていた。時々は開いた窓のところで立ち止まって、目も眩むような高さ 2 から地面を見下ろした。そして陰気な眉がいかめしい笑み 3 で輝き、感情を殺した声で呟く。「これでいい」再び一人で歩き回った。
 太陽は神々しく昇り、昏い世界を日の光にて明かす 4 。傲慢な男爵はまだ小部屋の中を歩き回っていた、足取りは前にも増して早足で、落ち着きがなけれども。一度ならずじっと立ち止まり、心配げに、熱心に聞き耳を立て、気落ちした雰囲気できびすを返す。その間にも眉には暗い影がよぎった。突然、城の門にかけていたラッパ 5 が鋭い音を発した 6 。男爵は音を聞き、堅く握った両の拳で野蛮に胸をたたきながら、苦々しく呟いた。「時間が近づいてきた。元気を出して行動に移さないとな」そして安楽椅子に身を投げ出し、あわただしくテーブルの大きなワイン・ゴブレットを空け 7 、無関心を装おうとしたが無駄に終わった。突然ドアが開け放たれ、従者が大きな声で呼ばわった。「シニョール・ブロフスキです!」
「まあ座りたまえ! シニョール! 今朝は早かったね。アロンソ! さあ! シニョールにカップでワインを持ってくるのだ! スパイスを充分に利かせてな 8 、ハハハ!」男爵は騒々しく笑ったが、無理に笑ったようであり、うつろな笑い 9 、すぐに消えてしまった。そうしている間、訪問者は一言も発していなかったが、注意深く帽子と手袋を取り 10 、男爵に相対して座った。そして静かに男爵の笑いが治まるのを待ち、しゃがれ声で話し始めた。「ムグツヴィッヒ男爵からご挨拶です。男爵はこれをお送りです」なぜスロッグドッド男爵の顔が急に青ざめたのか? なぜ男爵の指が震えて、ほとんど手紙を開けることさえできなくなったのか? しばし手紙を見つめてから顔を上げ「ワインを味わってくれたまえ、シニョール」と、よそよそしく声の調子が変わって「楽しんでくれたまえよ」ちょうど持ってこられたゴブレットの一つを渡しながら言った。
 シニョールは微笑みながら受け取って口を着け、静かに男爵に気づかれないようにゴブレットを取り替え、一気に半分まで空けてしまった。スロッグドッド男爵は目を上げ、シニョールが飲んでいるのをしばらく眺めて、狼のような笑みを浮かべた 11
  まるまる十分、部屋の中は水を打ったように静まっていた。男爵は手紙を閉じ、顔を上げた。二人の眼が合う。シニョールはかつて何度も虎口にあって怯むことはなかったが、今は思わず眼を避けてしまった。かくて男爵は穏やかで、落ち着いた声で話しかけた。「手紙に何が書いてあるか、ご存じではないかな?」シニョールは頭を下げた。「そして、返事を待っている、と?」「ええ」「それなら、これが返事だ」男爵は叫ぶなり襲いかかり、次の瞬間には開いた窓から真っ逆さまに投げ落とした。落ちて行くのを二三秒の間眺めていた男爵はテーブルにあった手紙を細切れになるまで破いてしまい、窓からばらまいて捨てた。
第二話に続く)

1.おそらく午前三時頃。
2.十フィート。第四回参照。
3.挿絵参照。
4.明るくする。
5.騎士道の時代、ドアベルの代わりによく使われていた。
6.離れていても聞こえるように。
7.のべつワインを飲んでいるのだ。
8.熱い、スパイスを利かせたワインが当時よく飲まれていた。第三話挿絵参照。
9.笑いだけではなく、時として声もうつろになる。第五話参照。
10.挿絵参照。出て行く時にはどちらも持っていない。
11.そしておそらくはハイエナの笑いとともに。