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日本アニメーション『ふしぎの国のアリス』

目次

放映データ
エピソード
ビデオソフト(確認できているもの)(2016.6.5現在)
レビュー
付:アニメ雑誌に取り上げられた『ふしぎの国のアリス』
参考リンク

放映データ

放送期間 1983/10/10〜1984/03/26
話数 30分・26話
原作 ルイス・キャロル
放送局 テレビ大阪系
放送時間 月曜日19:30-20:00

キャラクター/キャスト
アリス/TARAKO
ベニー/野沢雅子
お父さん/野島昭生
お母さん/松尾佳子
セリア/水倉久美子

スパイスハム夫人/頓宮恭子
白ウサギ/緒方賢一
ハートの女王/上村典子
チェスの女王/中野聖子
ハンプティ・ダンプティ/飯塚昭三
ティードルディー/頓宮恭子
ティードルダム/向殿あさみ
ジョーカー/二又一成
ジャバウォーキー/加藤精三
イモ虫/丸山詠二
帽子屋/二又一成

音楽 小六禮次郎
キャラクターデザイン 熊田勇
絵コンテ 杉山卓
演出 杉山卓

オープニングテーマ「夢みるワンダーランド」
作詞:島エリナ/作曲・編曲:小林泉美
歌:TARAKO
エンディングテーマ「ナゾナゾ夢の国」
作詞:島エリナ/作曲・編曲:小林泉美
歌:TARAKO
http://www.nippon-animation.co.jp/work/1438/に適宜データ追加)

エピソード

 日本で放映された26話のサブタイトルは以下の通り。
第1話:アリスとベニー
第2話:ラビットホール
第3話:涙の海のアリス
第4話:コーカス・レース
第5話:でっかいアリス
第5話:ハンプティ ダンプティ
第7話:大きな仔犬
第8話:名なしの森
第9話:カラスの海賊
第10話:キャタピラの忠告
第11話:のっぽのアリス
第12話:びっくりベイビー
第13話:泣きむしまがい亀
第14話:ディーとダムの大決闘
第15話:ライオンVSユニコーン
第16話:クィーンのクローケー大会
第17話:チェシャキャット
第18話:カキたちの大脱走
第19話:エビのカドリール
第20話:おかしなティーパーティ
第21話:すてきなサーカスランド
第22話:くいしんぼうジャック
第23話:さか立ち大行進
第24話:消えたベニー
第25話:グリーンランドの秘密
第26話:鏡のアリスと鏡

ビデオソフト(確認できているもの)(2016.6.5現在)

レビュー

シリーズの特徴

 1983年から1984年にかけ、テレビ放映されたシリーズ。もともとは全52話作成されたが、視聴率のせいであろうか、日本においては26話放映されただけで終了した。
 本来『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』の二冊を完全に映像化したとしても、30分番組で4クール、52話の長さにはなり得ない。どうしてもオリジナルなエピソードを作ることが必要になってくるし、そうなると原作とは大きく離れてしまうリスクが高くなる。また、原作通りに作った場合、2クールなり4クールなり、アリスはずっとさまよい続けることになってしまう。原作がアリスの夢であることを考えると、それだけ長い期間を物語に設定するのは無理があるとも言える。そこでアニメでは一話完結でアリスは不思議の国と現実の世界を往復する形にアレンジされた。
 上記の点を含め、このアニメの特徴を以下に記す。
 一話完結で不思議の国と現実を往復することについては、シリーズものを逆手にとった、良いアイディアであると思われる。二つの『アリス』物語は、一般の小説のように話を進めながら山場を作り、最後に結末が来るという形を取っていない。物語はエピソードの羅列と言ってよく、物語全体を通した大きな波のようなものがない。そのため、この物語を映像化するに当たって製作陣は、どうやって話に盛り上がりを作るか、どうやって話の終わりまで視聴者の興味を引いて行くか頭を悩ませる。その結果、枠入り構造にしたり、アリスに冒険する目的を与えたりという脚色をする。そのことで各エピソードを物語の論理に従わせるわけだ。
 だが、毎週連続で放映されるシリーズの場合、エピソードの羅列はむしろ好都合であるといえる。一話完結というのは多くのアニメで定番ともいえる手法だ。それに特化してしまい、枠としての不思議の国への往還は物語の前後ではなく、エピソードの前後にしてしまえば良い。
 このことを具体的に示すと、第5話「でっかいアリス」が解りやすい。ここでは、  と、いった話の構造を持っている。なお、この回ではホワイト教授と白兎の声をどちらも緒方賢一が当てている。他のエピソードでも、ワンダーランドの住民と現実世界の登場人物に共通性を持たせるという、映画『オズの魔法使』の手法が取り入れられ、現実の世界とワンダーランドの世界に共通点を持たせている。
 このことによって、シリーズ全体の流れというものはなくなってしまうが、その一方、不思議の国の住人を何度も出すことが出来るという利点がある。これは声優を固定化し、スケジュールを押さえやすいという意味でも利点といえよう。そして、この形式が皮肉にも日本での26話での打ち切りの違和感をなくしたともいえる。そもそも物語を完結させる必要がないのだから、どこで切ったとしても大きな問題はない。これは、仮に『サザエさん』や『ドラえもん』、『ちびまる子ちゃん』がいつ終わるにしても最終回にことさら「結末」を用意する必要がない、ということを想像すれば納得できると思う。そして、一話完結の形式にしたことによる副産物として、登場人物がずっと変化しないということが可能になった。物語から教訓を廃したことは原作が児童文学史上の大きな里程標となった一因といえるのだが、教訓的なものがない、ということは同時に主人公が試練を経て話の始まりと終わりで成長するということがないとも言える。映像化されたものの中には、物語の中に論理を与えようと、アリスの成長物語へと脚色してしまう例が少なくない。このシリーズはその弊を免れている。
 もちろん、一話完結にしたことと、登場人物を固定したことによる欠点もある。一つは、時として同じモチーフが別のエピソードで使われ、しかもその内容が矛盾する、という危険のあることだ。このシリーズでもその欠点が、ある意味最悪のタイミングで現れている。それは第8話「名なしの森」第9話「カラスの海賊」で、どちらも『鏡の国のアリス』の「名なしの森」のエピソードから作られている。しかし前者では物忘れの原因は三月ウサギが魔法の薬でいたずらをしたことが原因となっていて、最後にその原因は取り除かれるのだが、後者のエピソードでは、「名なしの森」は、それ自体が記憶をなくす働きを持っているものとしてワンダーランドに存在する。そして、この二つのエピソードは相前後して放映された。おそらく第9話を見た子供は、「あれ、先週名なしの森は魔法が解けたのでは?」と混乱したのではないか。
 また、元になるエピソードを『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』双方から採っており、登場人物も両方の物語から採用した上で固定しているため、アリスが訪れる世界は一つだけになってしまっている。また、原作の多彩な登場人物が、これだけ長いシリーズだというのにカットされる。『不思議の国のアリス』の登場人物はほぼ登場しているが、『鏡の国のアリス』だと、赤の王や女王が登場していない、ということが起きている。これは登場人物を固定した故の欠点といえよう。

キャラクターの脚色/追加

 原作の登場人物の設定を脚色したり、アニメで追加したりされた人物について、以下に記す。
アリス
このアニメの特徴として、常に帽子をかぶっている(家の中や学校の教室の中でも)。
セリア
アリスの姉。原作に出てくるお姉さんとは全く違う。アリスと年が近く、しょっちゅう喧嘩している。(もし英語のスペルがCeliaであるなら、Aliceのアナグラムになる)
お父さん
オリジナル・キャラクター。大きな屋敷に住んでいることからもUpper middleと思われる。ガーデン・ソサエティの役員。
お母さん
オリジナル・キャラクター。優しい。
スパイスハム夫人
オリジナル・キャラクター。アリスの家の料理人。
ベニー・バニー(またはベニー兎)
オリジナル・キャラクター。第一話冒頭で、古道具屋に入ったアリスがシルクハットに入っているのを見つける。人の言葉を話すことができるが、それはアリスとの間の秘密。白兎の甥。
ハートのクィーン
原作ほどには恐ろしくない。物覚えが悪いのか、初期にはアリスに何度会っても「前に会ったことがあるかい?」と言っていた。
ジョーカー
オリジナル・キャラクター。ハートのクィーンの王宮の道化。
ジャック
第22話で初登場。原作と違ってハートのキングとクィーンの子供。食いしん坊の少年。
セイウチとカーペンター
第18話では悪党として登場するが、19話以降は普通の住人になっている。
ジャバウォーキー
森の中の城に住む。アリスを除き、ワンダーランドの住人が皆恐れている。住人達を食べようと策略を練る。
キャタピラ
本編では「芋虫」と呼ばれている。悩み相談を受けるのが趣味。水煙管の煙草の煙に乗って飛ぶことが出来る。
チェスの女王
原作の白の女王。クローケーが好きで、どんな場所でも玉を打って飛ばす。それでその場が大混乱を起こすが、本人に悪気はない。
木の番人
オリジナル・キャラクター。涙を流す柳の木(『鏡の国』第2章に出てくる柳と同じと思われる)に住んでいて、フルートを吹くと植物が従う。
 特徴的な点は、このシリーズに悪人が一人もいないという点だ。ハートの女王も原作のような暴君に比べ丸くなっているし、セイウチとカーペンターも、最初、悪党として登場した第18話においてすら、牡蠣を食べることはない。ジャバウォーキーもこのシリーズの中では間の抜けた敵役以上のものではない。この点は原作の残酷さを日本の子供向きにした結果とも言えよう。賛否の分かれるところではあるが、シリーズであることを考えるなら、妥当な変更ではないかと思われる。なお、第8話「名なしの森」では、アリスの同級生で物覚えが悪い子としてメーベルが登場する。原作「涙の池」の章でアリスが名前を挙げる、あの少女だ。この辺、原作の要素を上手く使ったといえよう。

科白の特徴

 このシリーズはドイツとの共同制作であり、最初から海外展開を行うことが前提とされていた。そのため脚本も言葉遊び以外は翻訳しやすい科白になっている。むしろ外国語の脚本を日本語に訳したような印象すら受ける。以下、例を示す。
第21話「すてきなサーカスランド」
ハートのクィーンがライオンに襲われたと思ったアリス、「女王様は欠点もあるけど、こんな恐ろしい終末を迎えるなんて、考えたくもないわ」
第24話「消えたベニー」
鏡の国で変な生き物を見たアリス、「ワンダーランドではずいぶんおかしなことを見たけど、こんなに奇妙なことは初めてだわ」

原作に出てくる詩がアニメ版ではどう使われたか

 二つの『アリス』物語を特徴付けるものにナンセンス詩がある。多くの映像化された『アリス』を見ると、時には無視し、時にはミュージカルにアレンジし、あるいは原作そのままに朗読する。そこに脚色の方針を見ることが出来るわけだが、原作に対しどれだけ忠誠心を持っているかも、この詩の扱いで判ると言って良い部分がある。その点でこのシリーズを見た場合、表面に出てくる原作のアレンジに比べ、忠実にナンセンス詩を物語の中で登場させようとしている姿勢が見て取れる。以下、原作の詩がシリーズで取り上げられた例を見て行く。

How doth the little crocodile....
第3話「涙の海のアリス」で、アリスの涙の池を、ティーカップに乗って浮かんでいるベニーが歌う。
小さなクロコダイル 輝く尻尾を磨きます
ナイルの水を注ぎ ロータスの葉で
朝な夕なに 金色の小さな鱗を磨きます
 ※三行繰り返し
彼がにんまり笑うと きれいな歯がきらめき
やさしくほほえむその歯で 魚を呼び寄せる
 ※二行繰り返し
Twinkle, twinkle, little bat....
第20話「おかしなティーパーティ」
きらきら 蝙蝠よ
何を狙って 空を飛ぶ
蛙か蜥蜴がゲジゲジか
はたまた金魚の玉子焼き
Jabberwocky
この詩は二つのエピソードで使われる。そして、全く別の訳語が当てられている。
第6話「ハンプティ・ダンプティ」
あぶりの時にトーヴしならか
はるかの中にぐるぐる回り
すべて衰弱……(ここで切れている)
 おそらくこれは、当時入手しやすかったであろう角川文庫版、岡田忠軒訳を下敷きにしたと考えて良い。岡田訳で「哀弱」と訳されているmimsyが、ここでは「衰弱」となっているのは、台本への転記ミス、あるいは誤記と判断した声優(TARAKO)が、「訂正」して台本を読んだ可能性が考えられる。
第17話「チェシャキャット」
芋虫とアリスの会話の中で詩の言葉が引用される。
芋虫「ティードルディーがティードルダムをなくした場合、彼はワーブに行かなければならない。少しミムシーなボロボーブを摘む……」
アリス「すべてミムシーはボロゴーヴであり、そしてモーム・レースはグレーブの外!」
どうしてそれを知っていると訊く芋虫にアリスは「有名な詩ですわ。というと、ワーブというのはジャバウォーキーの住んでいる所?」
芋虫「そうだ。まさにジャバウォーキーのワーブ。それで、まさにそれはボロゴーヴであり、ピックテップでありミムシーなのだ」
ベニー「噛みつく顎と引っ捕まえる爪」
 ここでは最初の一連だけではく、後の連に出てくるジャバーウォックの特徴も引用される。そして、チェシャ猫のおまじないもこの詩から採られる。
「ミムシー、ミムシー、ボゴゴーブ、ワーブに咲き、揺れる」
(「グレーブの外」は、原文のoutgraveをout graveとして、日本語に訳したものと思われる)
In spring, when woods are getting green....
第17話「チェシャキャット」
『鏡の国のアリス』でハンプティ・ダンプティが暗唱する詩であるが、原作通りアニメでもハンプティ・ダンプティが歌っている。
「私は魚にことづけた。これが私の願いだと。海の小さな魚たち……」
(原文I sent a message to the fish:/I told them "This is what I wish."/The little fishes of the seaの部分)

原作の科白がアニメ版ではどう使われたか

 過去に多くの映像化がされた原作だが、ドラマの中で原作そのものの科白が使われることは非常に少ない。おそらく原作の科白そのままで劇を作り上げたのは、舞台を含めてたった一つ、エヴァ・ル・ガリエンヌによる舞台Alice in Wonderlandと、それを下敷きにテレビ化したケイト・バートン主演の番組だけではないかと思われる。原作の科白で、ほとんどどの映像でも使用されているものは"Oh dear! Oh dear! I shall be late!"、"curiouser and curiouser!"、"Off with her head!"くらいではないか。このドラマでは、エピソード数が多いということもあろうが、原作の科白がいろいろとアレンジしながらも使用されている。以下、主立ったものを挙げる。

不6「豚と胡椒」
公爵夫人:誰もが自分のことだけ考えていれば……以降の会話。
第12話「びっくりベイビー」
公爵夫人「誰もが自分のことだけを考えていれば、世の中はもっと早く回る」アリスはそれだといいことがない、第一地球は地軸の回りを24時間かけて回っていると答えた。
公爵夫人「地軸……ちぎる……ちぎれ……誰か、この子の首をちょん切れ!」
チェシャ猫:赤ん坊がpigになったのかfigになったのか。
第12話「びっくりベイビー」
チェシャ猫「豚の子って言ったのかい? それともブスの子って言ったのかい?」
アリス:A cat without a grinとa grin without a cat
第12話「びっくりベイビー」
「ニヤリと笑わない猫なら何度も見たことがあるけど、猫なのにニヤリだなんて、こんな奇妙なこと初めてだわ」(このくだり、残念ながら原作のナンセンスが生かされていない)
不9「まがい亀の話」
公爵夫人:Birds of a feather flock together
第4話「コーカス・レース」
ティーカップで海を渡っている動物たちが仲間割れしようとした時、アリス「同じ羽根色の鳥は一つ所に集まる」という。
まがい亀:We called him Tortoiseの洒落
第13話「泣きむしまがい亀」
まがい亀は身の上話をする。小さい頃、海の中の学校に行った。先生は年寄りの亀でスッポンといった。海亀だがスッポンと呼ばれたのは、生徒に一度食らいついたら離れないから。
鏡4「トゥイードルダムとトゥイードルディー」
トゥイードルダムとトゥイードルディー「蝋人形だと思っているなら……」
第14話「ディーとダムの大決闘」
アリスが森を出ると、そこには双子がいた。じっと動かない双子に、アリスは生きているのか、蝋人形なのかと迷ってしまう。双子は、蝋人形だと思うなら、お金を置いて行くべきだ、反対に生きていると思うなら話しかけるべきだと言う。
赤の王の夢
第14話「ディーとダムの大決闘」
いびきの音が聞こえてくる。アリスは怖がるベニーを抱いていびきの方へ。いびきの主は王様(赤の王ではない)で、従者が側で何か書き付けている。従者によれば、それは王が夢に見る予定のノート。退屈ではないかと訊くアリスに従者は「他のすべてのことと同じくらい退屈だ。なぜなら他のすべても夢だから」という。王様が目を覚まそうとする。と、従者が消えそうになる「王は夢を見るのをやめてしまった」と言い、従者は消えてしまう。
鏡6「ハンプティ・ダンプティ」
ハンプティ・ダンプティがアリスの年齢を訊くところ。
第6話「ハンプティ・ダンプティ」
「ところで、お前はいくつだと言ったっけな?」「七歳と六ヶ月です」「違う。お前はそんなことを一言も言わなかったじゃないか」「私、お前はいくつかと言ったのだと思ったのよ」「そういう気ならそう言った筈だ」そして、「七歳でやめとけ」(その後の下りはない)
非誕生日
第4話「コーカス・レース」
コーカス・レースを始めようという時にクィーンが現れる。これは何だと問うクィーンにコーカス・レースだと答えるドードー。なぜ自分に知らせなかったかというクィーンにドードーは「誕生日を驚かせようと」と言うがクィーンは、今日は誕生日ではないという。アリスが「非誕生日のお祝い」と助け船を出す。

キャロル的会話

 原作そのものではないが、いかにもキャロルが考えそうなナンセンスな会話や言葉遊びもこのシリーズでは出てくる。以下に代表的な例を挙げる。
第13話「泣きむしまがい亀」
アリスは自分が無知ではないので学校に行く必要がないとクィーンに言う、すると「あなたがそんなにお利口ならば、3+3+3+2+2は?」と訊かれ、13と答えると、「ポーカーでフルハウス」だとクィーン。
学校の生徒として駆り出された鼠、「私は42歳、子供を5世代も育てたんだぞ」とクィーンに抗議する。(年齢が42歳というところに注目)
第15話「ライオンVSユニコーン」
ココナッツ投げの屋台を見る。屋台にいるのは三月兎で標的はハンプティ・ダンプティ三月兎はアリスにお茶を出すが、カップには何も入っていない。何も入っていないとアリスがいうと、三月兎は「当たり前だ、ここは茶店じゃない」と怒る。
第16話「クィーンのクローケー大会」
クローケー大会。王様は針鼠にどうして欲しいかと訊く。「チュー問を訊いた」のだ。
第19話「エビのカドリール」
伊勢エビたちがカドリールを踊る。踊りの中にイルカが加わる。「イルカが入らなければ、本当のカドリールじゃないんだ」
*原作の「どこに行くにもイルカは一緒でないとけない」をアレンジしたと思われる。
第20話「おかしなティーパーティ」
帽子屋「時が去ってしまう。行こう」/時の翁「時は必要欠くべからざるもの。時を止めるなどという馬鹿げたことをしている時間が全くない」「時は人を待たず」(ジャバウォーキーの顔を見て)「本当に醜い。彼の顔は時計を止めるだけでなく、時が静止していることさえ邪魔する」
*このエピソードは、全編「時」に関する言葉遊びづくしになっている。
第25話「グリーンランドの秘密」
巨大化したアリスを見た蕪が「見慣れない野菜だな、ウドの一種かい?」「あら、なぜ?」「馬鹿みたいに大きいからさ」
芋虫に悩みを相談するウド。役立たずの代表のように皆が馬鹿にする、と。
第26話「鏡のアリスと鏡」
鏡の世界の不思議な空間で本を見つけるアリス。白紙で絵も文字もない。「これでも本といえるのかしら。それとも、これから書かれる本なのかしら」
公爵夫人と料理人に追い詰められたアリスを見たベニー「アリスの七年目の悪夢が、たった今始まった」
人気者コンテストに出るという公爵夫人。アリス「ブスと暴力のコンテストなら優勝できるかもね」

他のテレビドラマ版に比較した『ふしぎの国のアリス』の特徴

 以下、他のテレビドラマ版の『アリス』と比較して、本作の特徴を示す。

結論

 ここまでシリーズの形式、登場人物のアレンジ、原作の詩の扱い、原作の科白の扱い、キャロル的ナンセンスと言葉遊びについて見てきた。そうすると原作のナンセンス詩がいろいろアレンジされながらも本編に活かされていることや、原作の科白も随所にちりばめられていることが判った。また、このアニメの独自の科白の中にも非常にキャロル的な会話や言葉遊びが含まれていることが判る。こういったキャロル的ナンセンスは、『アリス』を映像化した他の映画やドラマにはあまり見られないものである。  長編物語としては比較的短い部類に入る原作二冊を全26話(あるいは全52話)に引き延ばし、各エピソードでアリスが不思議の国と現実の世界を往復する。外見からすればもっとも原作から遠いといえるが、その内容は原作を充分に理解し、咀嚼したものであると言って良い。

付:アニメ雑誌に取り上げられた『ふしぎの国のアリス』

 このシリーズについては雑誌『アニメージュ』1983年9月号と10月号に紹介記事が掲載されている。9月号では、毎回アリスの日常生活が描かれることが記載されている。ただ、アニメの画像の説明でオリジナル・キャラクターのベニー・バニーを「白ウサギ」と誤って紹介している。この段階ではベニーというキャラクターのことがプレスリリースにもなかったと思われる。10月号でも、やはりアリスが現実と不思議の国を毎回往復すると書かれている。この号では監督杉山卓のインタビューが掲載されている。ここで杉山はアリスが空想から不思議の国へ入り込むと答えている。本シリーズの基本的な姿勢は、ここにあると言って良いだろう。
“『アニメージュ』1983年9月号p.56" “『アニメージュ』1983年10月号p.52"
『アニメージュ』1983年9月号p.56 『アニメージュ』1983年10月号p.52

参考リンク

『ふしぎの国のアリス』作品紹介(日本アニメーション公式サイト)
Wikipedia『ふしぎの国のアリス』(テレビアニメ)
Amazonビデオ『ふしぎの国のアリス』

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